悠輔にそのことを話すと、「さくらのサは接頭語。クラは神の依り代のことや、神霊が宿ってはるんや。花は神の美しさやさかい畏(おそ)れ多くて怖いんや。引きこまれへんようにな」と言った。
悠輔と一緒に桜の様子を見て回ったり、苗木を畑に定植したり、撒水に精出したりすると、まだ花冷えのころであっても額に汗が滲んだ。そんなときふと、同じように悠輔の額に滲む汗を見て、とても満ち足りた気持ちになった。
桜の園の経営は悠輔が切り回していた。夕子は結婚以来、ずっとこの桜の園でただ桜専門庭師悠輔の手伝いと一人娘の桜子を見つめて生きてきた。結婚前から夕子の両親と舅はすでに亡くなっていた。また姑も悠輔も家風とか慣習にこだわらないほうだった。
ときには感情的になることもあったが、夕子は姑に教えられるまま、家庭の諸事をどうにかこなした。
それも結婚して三年ほどで姑は肺炎で他界してしまった。九十五歳だった。そのあとは、大雑把が好きな夕子の行き当たりばったり手探りの日々が今も続いている。
祭りが大好きな夕子は、近所づきあいは如才なかった。産土神 (うぶすながみ)神社の夏祭りや秋祭りや子どもたちが楽しみにしている地蔵盆など、地域の催しには世話役を買って出るほどだった。
特に桜の季節には毎年、桜子のママ友を招待して、大紅しだれ桜の下に花筵 (はなむしろ)を敷き、京都銘菓と茶の静かな花見を催してきた。この催しは桜子が成長するにつれて集う顔ぶれも少しずつ変わっていったけれど、今も続いている。桜子も幼馴染みとの再会を楽しみに毎年、子連れでやってくる。
そんなある日、花冷え以上に気温が下がって季節外れの風花 (かざはな)が舞い、それと見まがうように桜の花びらも降りしきっていた。
悠輔と夕子が大紅しだれ桜の枯れ枝を剪定していたとき、彼は突然倒れあっけなく逝った。検死に訪れた医師や警察官の話では脳溢血だという。花の季節は寒の戻りや桜の世話も何かと多忙だ。
それが祟ったのだろうか。
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