【前回の記事を読む】「フンをするな」とは書かない。「衛生保持のため定期的に薬剤を散布しています。近づくと昏倒の恐れがあります」と書く。
第四章 2015年(後)
10月14日(水)
執刀医
一昨日12日、体育の日に、やなせたかし氏の、『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)と『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)が届いた。インターネット検索で、やなせ先生の奥さまと丸山ワクチンのことを知ったからである。
原文は東京新聞(中日新聞)に連載された、やなせたかし氏の『この道』という自伝エッセーとのことであった。更に調べてみると、それらの文章が『人生なんて夢だけど』として単行本になっていることを知った。
やなせ夫人のがんが発見されたのは1988年12月である。即手術をした。
「お気の毒ですが、奥さまの生命は長くてあと3カ月です。がんが全身に転移しています。これは既に第4期の終わりで、第1期ならば完治したと思いますが、肝臓にもびっしりとがんが転移しており、もう手のほどこしようがありません」(228ページ)
そんな状態が、里中満智子さんから、里中さん自身が使用している「丸山ワクチン」のことを聞き、
“「そんなもの効きませんよ」という医師に頼み込んで打ち始めました。”(229ページ)
“余命3カ月はあっという間に通過して元気いっぱい。地図を広げて「山は全部登ったから、次は中山道を京都まで歩いてみたい。あんたも行かない」なんて言い出したので、「いったい何が起きたんだ。奇跡というものはあるもんだ」とうれしくなりました。”(231ページ)
“1991年7月、(中略)……
カミさんの病気は一見安定しているように見えましたが、実はこのあたりから丸山ワクチンを打つのを止めていたのです。”(246ページ)
1993年11月、奥さまは亡くなる。
それにしても余命3カ月を告げられてから5年、元気に過ごされたのである。
お医者さんは、「抗がん剤がよく効いた」と言われたそうであるが、やなせ先生は、丸山ワクチンの効果であると信じておられる。
私は心の支えとして、その文章を、この目で確かめたかったのである。
本が届いたのは12日夕刻で、翌未明の3時、やなせたかし氏は逝去された。