【前回の記事を読む】「悪いか? 相手は中国人だぞ! 日本人の言うことを聞かない中国人を殴って何が悪い」...少年は右手拳を振り上げて、雪舟に殴りかかった。
北満のシリウス
八月七日 午後四時頃 ハルビン キタイスカヤ路上
「何……? セッシュウ……?」
雪舟は、少年のところまで、すたすたと歩いて来た。そして少年の後ろ襟をつかんで、無理矢理立たせ、そのまま、御者のところまで引き連れて行った。
「謝れ」
少年は、御者の顔をきまり悪そうに上目遣いに見ながら、ペコリと頭を下げた。
「どうも、すみませんでした」
御者は、ニコニコとしていた。
「いいんですよ」
「え?」
少年は驚いたようだった。
「恨んでないんですか? 俺のこと……」
御者は、ニコニコとしたまま、お辞儀をして、馬車に乗って去って行った。
少年は、ポカンとして、その後ろ姿を見つめていた。
「エドゥゲーフ、アイザック、行くぞ」
雪舟は、立ち尽くす少年の背中をポンと叩いて、馬をつないだままのモデルンホテルの前に向かって歩き始めた。その雪舟の背中に向かって、少年が声を掛けた。
「待ってくれ……」
雪舟は振り向いた。
「金を返さないと。三十銭……」
「金はいい。それより、お前、病気なのか?」
「いや?」
「じゃあ、お前の家族の誰かか?」
「ああ、どうしてわかる?」
「地段街には赤十字病院がある。そして、お前のような子供が普通は一人で馬車に乗らん」
「そうなんだ。俺は、すぐそこの外国三道街に住んでるんだけど、お袋が入院することになって、馬車で送って行って、帰りは一人で戻って来たんだ」
「治療費のことが頭にあって、つい三十銭にもこだわった。そんなところか?」
「まあな」
「お母さんのためにも、三十銭はとっとけ」
雪舟は、また背を向けようとした。