【前回の記事を読む】「待ってくれ…あんたひょっとして『北満のシリウス』か? 百回近い決闘でも、一度も負けたことがないっていう…」
北満のシリウス
八月七日 午後四時頃 ハルビン キタイスカヤ路上
「本当……。こっちは、こんなに天気がいいのに……」
「気のせいか、その雲が、こっちに動いとるような気がしての……」
「でも、普通、曇って西から東へ動くんじゃ……」
「何か、普通ではないことが起きておるような気がしての……」
松浦洋行の下のキタイスカヤの路上では、アイザックと雪舟が、北の彼方の空を見つめていた。
「雪舟、あのずっと北のドス黒い雲が、こっちに流れてくるように見えんか?」
「それは分からんが、一つ確かなことがあるな。間もなく、北から大嵐が来るってことがな……」
雪舟は、思った。十四年前の満州事変以来、この地で傍若無人に振舞って来た日本人達。腐敗しきった満州帝国の甘い汁を吸ってきた連中が、これから自らの墓穴を掘るのは、いい気味だ。だが……。
行き来する車のタイヤやクラクションの音、そして、大勢の通行人のガヤガヤとした話し声に重なって、近くて大きな鐘の音が、キタイスカヤ中にゴーン、ゴーンと響き渡った。