「待ってくれ……」
雪舟は、また振り向いた。
「あんた、ひょっとしたら、あの上山雪舟か? そうだろ? あの日本人馬賊頭目の。『北満のシリウス』。百回近い決闘でも、一度も負けたことがないって言う……」
「だとしたら、どうなんだ」
「頼む! 俺を弟子にしてくれ!」
エドゥゲーフとアイザックは顔を見合わせた。
雪舟は笑顔になった。
「悪いな。坊や。俺は弟子はとらん」
そして、また背を向けようとした。
「待ってくれ! 俺は、あんたのような男になりたい! 俺の名前は、遠山広之進!」
雪舟は、あらためて、少年の顔に目をやった。
「雪舟、見てくれ!」
雪舟が振り返ると、アイザックは、北へと続くキタイスカヤの先、スンガリー川より、もっと遥か向こうの北の果ての空を見て立ち尽くしていた。雪舟は、アイザックの横に並んで、やはり北の彼方を見つめた。
その頃、松浦洋行の頂上のドームでは、ハルたちが、ハルビンの遠景を楽しんでいた。松浦洋行は、一九〇九年竣工の日本資本の百貨店で、キタイスカヤで最も高いバロック式の建築物だ。アキオとフユは嬉しそうに、何度も足音を立てて、ジャンプしながら景色に見入っている。
ハルは、うっとりしていた。
「いつ見ても、素敵な眺めねえ」
ナツがビルの下の方を見て何かに気付いたようだった。
「あ、お姉ちゃん、あれ、さっきの上山雪舟さんじゃない?」
ハルも、キタイスカヤの路上を見下ろして、険しい表情になった。
「あ、あら……、本当。何だか、また思い出して腹が立ってきたわ!」
そして、口の横に、拡声器のように右手の平を立てた。
「バカヤロー。死んでしまえ~。上山雪舟~!」
本気で叫んだわけではない。叫ぶフリをしただけだ。だから、声も大きくないし、少し遠慮がちにも聞こえる。ハルだって、ここからの声が雪舟に聞こえないことくらい、わかっている。でも、ナツは、そのハルの横顔を心配そうに見ていた。
「お姉ちゃん……。落ち着いて……」