9月23日(水)
琴と三味線

“シルバーウィーク”といわれる連休であった。この連休は最終日を除いて、連日芝居見物することになっていた。それは勿論良子も承知のことである。

19日(土)、22日(火)は夜の部で、無理をして病院の面会許可時間に合わせられないことはないが慌ただしく、良子はそれなりに安定しているので、「来なくて良い」ということであった。

21日は夕刻良子を訪ねた。

「売店にあるカボチャプリンを食べても良いと言われた」と言った。

「動脈から採血された。普通、静脈やのに、どうしてかな?」と不思議そうであった。

私たち夫婦で完全に一致しているのは「食べ物」と「旅行」である。

それ以外はほとんど共通するものがない。

私の趣味は音楽鑑賞と芝居であるが、良子には余り興味がない。

良子が熱心なのは、お茶、お花、俳句、である。お茶は少人数ではあるがお弟子さんをとったこともある。しかし我が家までは坂道で、当時はバスもなく、高齢の生徒さんには不便であった。

M工業東京支社の華道部創設にかかわり、長い間指導していた。若い女性を指導する良子は生き生きとしていた。当時の支社長はその後社長となった。

私は、良子の点ててくれる茶をおいしいと思うし、花もきれいだと思う。俳句もなかなかのものである。しかし私自身にはそれらの素養がまったくない。

23日は家の周辺を整理した。夏の間に伸びたクズや草を可能な限り除去した。曇天で、作業には好都合であった。そして夕刻5時に、病院へ行った。

「今日は庭をきれいにしたよ」と報告した。

良子の顔色は更に良く、『私を変えた聖書の言葉』と『なぜ日本人は成熟できないのか』を、読み終えたから別なのを持ってきて、と私に返した。

芝居のことも尋ねた。「面白かったよ」と私は答えた。20日の昼の部で、『競(だてくらべ)伊勢物語』が、歌舞伎座では昭和40年以来という、つまり50年ぶりの上演があった。私が驚嘆したのは、死を覚悟した菊之助の信夫(しのぶ)が弾く琴に、そって鳴る三味線であった。

私には菊之助の琴が聞こえた。しかし場所によっては三味線だけしか聞こえなかったかもしれない。私もよく耳を澄まして、二つの楽器が協奏していることを確認したのである。菊之助は小さい音で弾いた。あれだけ距離があって、どうしてあのように一体の音が鳴るのだろう。三味線が、どうしてあのように琴の音色と音程で、弾けるのであろう。筋書を見ると、「三味線 鶴澤慎治」とある。

「今年もスダチがいっぱいなっている。今夜はカマスの塩焼きにスダチをたっぷりかけて食べるよ。早く帰ってよ」

「今日から五分粥になった」と良子は言った。

「五分粥というのは、ちゃんと米粒があるのよ」

私とあい子は、希望を持って病院をあとにした。

この部分は実際には9月23日に書き始めた。今は25日の午前である。昨24日夜、A先生より覚悟を促すような話があった。今は25日午前で、午後に、良子は胃の検査を受ける。夕刻にA先生より電話があり、そこで決まるのである。今の私にあるのは悲しみである。

 

次回更新は3月30日(日)、20時の予定です。

 

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