(ご縁……2015年9月16日)

「お母さんは、お医者さんの顔を見ると治っちゃうんだ」

とあい子が言った。

最初に行った「横浜市救急医療センター」でも、到着してみると割とけろっとした顔をしている。単にオナラが出ないということで、救急医には、その原因まで思いが及ばない。

次のO医院でも、先生には“便秘”くらいの認識しかできない。

その次の東邦大学病院でも、私は精密検査をしてもらいなさいと指示したのであるが、いざ先生の前に座ると体調は普段通りになり、検査も、もう大丈夫だからと本人が辞退したそうである。だからこそ先生の、「病院へは検査が必要なときだけいらっしゃい。そうでなければ近くのお医者さんの方がいいです」という言葉が出たのであろう。それにしてもどの先生も、触診によって異常を感知できなかったのであろうか。

結局、最初の救急病院搬送9月4日から、みなと赤十字病院入院の12日迄、8日間を浪費したことになる。そのために“シルバーウィーク”に引っかかり、検査も遅れている。

しかし、最初の9月4日にみなと赤十字病院へ行ったとして、元気を回復した良子を見て、先生は直ちにCTスキャンをはじめとした本格検査を実施したであろうか。8日間の経過を聞いたからこそ、その緊迫性を当直医は直感したのではないか。土曜日の夜にもかかわらず、緊急検査を実施してくれた。

更に翌日曜日、別件で救急病棟に来ていた消化器官専門医であるA先生を見た看護師さんが、「先生、ちょっと診てくれませんか」と頼んだそうである。それが翌日の“ステント”装着につながった。

「ご縁です」

と、A先生はあい子に言ったそうである。

いろんな経路の中で患者と医師はつながる。

東邦大学で検査を受けて、そのまま入院していれば、A先生とのつながりは生まれなかった。

それが良かったのか、そうでないのか、知る由もない。

「運命やわね」

と良子は言う。

この日、良子の顔色は随分良くなっていた。

私は、曽野綾子さんの『この世に恋して』を持って行った。

 

次回更新は3月29日(土)、20時の予定です。

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