7月2日(月)
債務者(その1)
私のこのメモは、家族も知らない。
もう少しまとまったところで教えようと思っている。
私の終末が、いつ、どのような形か、知りようがないが、それなりに遺言のつもりで書いている。
娘と長い付き合いである。幼児時代から、いつも一緒にいた気がする。
しかしべたべたした関係でなく常に一定の距離があって、その距離は娘が設定したのである。
子供時代を含めて、手をつないで歩いたことはない。のみならず並んで歩いたこともない。
彼女は必ず私から5m以上離れて歩いた。それでいて、いつも一緒だった。
小6か中1の頃、私たちの教会へ、ドイツのケルンから少年少女合唱団が来た。
ずっとあとになって聞いて納得したのであるが、その少年少女たちの歌によって、彼女はドイツ語に興味を持ったのである。授業にはまったく関係なく、小塩節先生の「NHKドイツ語講座」を、熱心に勉強していた(本来やるべき教科を勉強する姿は、見たことがない)。
大学はドイツ文学を専攻した。一般の会社に就職したのであるが、どうしてもドイツへ行きたいと、3年間、デュッセルドルフへ行って、現地で働いた。約束だったので3年後、帰ってヨメに行けというと、素直に帰ってきた。当然間もなく結婚すると思った。短期間では迷惑を掛けるので、よそ様でなく自分の会社に私の助手として入れた。
私とは絶対に距離を置く女であったから、同じ部屋なら、早く飛び出すと思った。
それが完全な誤りであった。棲みつかれてしまった。
それでも、並んで歩いたことは、一度もない。
手をつなぐなどということは、私の臨終の場でしか起こり得ないだろう。
彼女にとって私は害だったのではないか、と度々思う。
しかし彼女は、それなりに幸せそうである。私が鈍感なのかもしれないが、暗く落ち込んだところを、見たことがない。
もっとも、自分の内面を見せない女である。
人の話はよく聞くが、自分の考えはほとんど語らない。
父の私にも、正体は、よく分からない。
そんな娘がひと月ほど前、「お父さんのことで強烈に記憶に残っていること」と、二つの出来事を語った。一つは私自身忘れ得ないものであるが、一つは完璧に忘れていることである。(続く)
次回更新は3月25日(火)、20時の予定です。
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