3月3日(土)
久坂部羊先生

自分が関心を持つと、多くの関連情報のあることに気付く。最近の私は「死」の問題、自分がどう死ねるか、という問題である。

久坂部羊という方を、私は知らなかった。最近産経新聞「話の肖像画」に出られて、初めて知った。お医者さんで小説家とのことである。語っておられることにまったく同感である。私がこのメモで期していることの裏付けである。私の考えは決して「変」なものでなく、ごく平凡な、常識的感覚であると思う。

久坂部先生は語っておられる。

『日本の国民医療費が36兆円を超えて問題になっています。中でも死の直前の医療費が大きな負担になっている。統計によって異なりますが、国民一人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2カ月に使われるという報告もある。』(産経新聞2012年2月29日)

これは逆に言えば、医療〝業界〟にとっての「ドル箱」であることを示している。しかも、死んだからと医療ミス云々を訴えられるリスクの皆無な、もっともおいしいネタである。ここに病根がある。

私は経費の考え方を、分母に「(自意識のある)生存期間」、分子に「費用(医療費)」、で妻子に説明している。分母はゼロに近づくのだから、値は肥大していく。

考え方を、医療業界の都合でなく、我々の常識に切り替えるべきである。

そうしなければ医療費の問題は絶対解決しない。

医療費の自己負担率も引き上げれば良い。それがもっとも正確な医療の正常化につながる。しかし医者たちは〝弱者〟を人質にして自分の利権を守る。

『治すことばかりを考えている医師には生かす医療から死なせる医療にハンドルを切る発想がない。適当な時期に快適に死ぬには、死の側に立つ専門医のサポートがいる。』(同上)

「治すことばかりを考えている」、それが実入りになるからである。治すこと自体は彼らの目的でない。治らないことは医者が一番分かっているのだ。

『オーストリアには人間ドックなどない。どこも悪くなければ検査はいらないという考え方です』(産経新聞2012年3月1日)とも久坂部先生は語る。

私も2年に1度くらいはドックに入るが、何か見付けられて精密検査を勧められる。精密検査の結果が重大だったことはない。1粒で2度おいしい、をやっているのではないかと疑っているところである。