【前回記事を読む】「いずれ大坂天満で火の手が上がる。それが決起の合図だ。家族のために米を取りに参れ」大塩の声に、農民たちの心は大きく揺れていた

鼠たちのカクメイ

翌日、跡部は堀利堅を呼び出し額をつき合わせる。堀も跡部同様、檄文に目を通して驚愕した。まさか、今のこの泰平の世に謀反の狼煙を上げようなどという者がいるのか? 

しかも聞けば首謀者はわれらの仲間、幕府方の役人だった人物ではないか。

「青天の霹靂とはこのことですな。それがしは大塩なる者と一面識もござらぬ。跡部殿は浅からぬ因縁ありと聞いておりますが、さて一体その者は何故このような謀を……」

「貴公は、それがしに落ち度があったと勘繰っておられるのか?」

後ろ暗い跡部は、言われてもいない非難に勝手に逆ギレした。

「いえ、そのような……」

「やつの動機なぞ、どうでもよろしい。それより、やつらが何をどう動くつもりか探らねばなりませぬぞ」

「確かに。もし暗殺以上のことを図っておるのなら……」

「あ、暗殺以上?」

「さよう。例えば、幕府転覆とか」

跡部は首をすくめた。俺は老中・水野忠邦の弟だぞ。その俺様の管轄でそのような重大事が発生すれば、俺はもとより跡部家ならびに水野家自体がお取り潰しに……冷汗が首を伝った。

「無論万にひとつの話ですが、国家の一大事になりうるとして大坂城代の土井殿のお耳に入れてみてはいかがでしょう? あの方は豪傑との評判ゆえ、手立てをお持ちでしょう」

そうだった。役人たるもの責任は分散せねば。跡部の官僚脳がようやく回り始めた。 

「うむ。貴公を呼び出したのは、まさにそのことなのです。御城代のご助力を仰ごうとは考えておったのだが、いかんせん私は土井殿をよく存じ上げぬ。御城代には貴殿から宜しく頼んでもらえまいか?」

「はあ。さりとて、それがしも土井殿とは……」

「うむ、それがよい。着任早々、堀殿は大手柄でござるな。ささ、急がれよ」

昨日から一睡もしていない跡部だったが、堀の名案にひと安心して茶菓子を貪り始めた。その現金な姿に堀は確信した。

(この男、脛にかなりの傷があるな)

しかし、ことはそう単純には進まない。その日の午後、堀は早速大坂城に参じ土井と面会した。殺風景な城代部屋で畏まる堀に対して、土井は終始渋面であった。

「大塩は何をしでかすかわかりません。叛乱が起こる前に御城代の権限で……」

だが、堀の嘆願は一笑に付された。

「つまり、お主ら奉行所では手に余る。尻を持ってくれ、ということか?」

ああ、こちらの無能を晒してしまったか、と堀は後悔する。

「逆賊どもがこの城まで狙う、というのであればわしも立とう。だが、何の裏づけもなく大坂城代が慌てふためけば、これ即ち幕府の恥……違うか?」

武辺と聞こえた土井もやはり官僚なのか。堀は渋々答える。

「仰せのとおりで」

土井は大塩の檄文を堀に投げ返して言った。

「今できることなど、何もござらんよ。町奉行殿」

鋭い眼光で睨まれ、堀は意気消沈して引き揚げた。八方ふさがり、という言葉が頭に浮かんだ。