【前回の記事を読む】「頑張ったならOK」は通じない。無条件に承認してくれる人など存在しない。自分なんか何者でもない。そう思うなら、とりあえず…

第1章

1-4.どん底からでも得られる唯一の自己肯定が「筋トレ」

これで一安心だ。さらにいえば、筋肉が付いて自分で「お、変わったな」と思ったとき、周囲を見回す余裕も出てくる。キラキラした「普通」の人たちを見ても、酷く落ち込むほどの劣等感を感じなくなる。

「周りと比べて、自分の身体は引き締まっていてかっこいい……!?」

あなたはこう気づくだろう。それだけで、自己肯定感は満たされるのだ。これが、あなたがこれからの人生で努力によって確実に得られる、唯一の成功体験となるはずだ。

今の社会では基本的に、働かないと、もしくは一定以上の富がないと、普通の生活を手に入れるのは難しい。働かなければならない。でも、その前に「筋トレ」をするのだ!

自己肯定感がないまま働き始めても、あなたの人生は灰色のままではないだろうか。しかし「鍛えた身体」という成功体験があるあなたは、いままでとは全く違う、新しい一歩を踏み出せる。

部屋の中で身体を鍛える。これだけで大きな一歩である。まずは「腕立て伏せ1回」「スクワット1回」「ウォーキング5分」こんなものでいい。

「それくらいなら、筋トレ始めてみようかな」

そう思ってくれると嬉しい。ただ、目指すところのない努力は続かない。理想のない道を進むのは辛いと思う。だから、私は提唱する。筋トレを始めたその先、最終的にはどうなっているべきか。

それは腕立て伏せが1000回できることではない。人と関わり、何らかの形で社会に貢献して、その報酬を受け取り生活する。これを目指さなければならない。なぜなら、筋トレだけでは生きられないからだ。社会と関わらずにはいられない。

自己肯定感も、社会の中でこそ得られる。全人類が滅亡した世界に自己肯定感はない。故に、自己肯定感を手に入れて幸せを感じるためには、やはりあなたは社会と関わらなければならないのだ。

といっても、最初に一歩踏み出す、その拠り所となる自己肯定感を、あなたは持っていないだろう。そこで筋トレだ。筋トレでハイな状態になった勢いでもいい。そのまま一歩踏み出そう。

筋トレは何も解決しない。しかし、筋トレは救いとなる。この、一見矛盾するような理屈が少し分かってもらえただろうか?