一時限目と二時限目の間にある三十分の休憩時間や、昼食の時間はどうしても日本人同士で集まってしまう。いつものように休憩時間に日本人同士で話している時、日本語を流暢に話す小柄なインドネシア人の男性に気が付いた。インドネシア大学の日本語学科二年生であった。

彼も勉強のため、毎日のように積極的に日本人の中に入ってきて日本語で話をしているので、私も次第に彼と話をするようになった。

インドネシア大学は裕福な家庭の子弟がほとんどである中、彼はスマトラ島メダンのバイク修理屋の息子で、父親から大学進学を反対されながら一年浪人してインドネシア大学に入った。私とちょうど親子くらい年齢が離れていたので、私のことを「パパさん」と呼ぶようになった。

とてもきれい好きで、頭が良く、英語も日本語もかなりのレベルで、インドネシア語も正確なうえ人懐っこい性格なのでBIPAの日本人からも人気があった。

そのうち彼と夕食を一緒にしたり、クリスチャンなので私のアパートで酒を飲んだりするようになった。

彼からはインドネシア語以外にインドネシアの教育、インドネシア人の考え方などいろいろ教わり、インドネシアの生活がより楽しくなった。現在はジャカルタにある日系の会計事務所で働いている。

次回更新は3月17日(月)、18時の予定です。

 

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