女将さんは、そう言い二枚のチケットと小遣いを母に渡してくれた。

「それは、七月から始まる『大相撲名古屋場所』の券やった。『父さんと二人で見に来るように』ってね。結局二人で見に来ることはできなんだけど。その時貰った券は、お母ちゃんの宝物や」

母は神棚に置いてあった古い封筒を降ろすと、中を開き僕に見せた。それは色褪せてはいたが、七月四日の日付が押されたブルーの二枚分のチケットであった。

母が飛び出した後、父は慌てて母を名古屋にまで迎えに来たらしい。父はその後、人夫の仲介をしていた老女性には辞めてもらった。

一緒に来ていた人夫の殆どは、仲介役の女性が辞めた後も引き続き現場に残ってくれ、工事に支障をきたすことはなかったようだ。ただ、母が父について語るのは、このような結婚した後のことだけであった。

父が「県庁を退職した理由」や、「退職したその後に何をしていたのか?」などは全くと言ってよいほど知らなかった。もちろん、父も母には結婚する以前のことについては、自ら語ることは殆どなかったらしい。母が一度、昔のことを尋ねると、

「自慢もできない昔の話をしても、恥ずかしいだけだ」

と自戒、自虐、あるいは後悔を含んだような苦い笑い顔を浮かべたことがあったらしい。以後、母も父の過去については意識して聞かないようにした。

それが父の亡くなるまでの二人の間での暗黙のルールとして続いたのである。

 

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