【前回の記事を読む】父が過ごした部屋の片づけが進まない母「整理しようとすると、ついアルバムを開いちゃって。お父さんの写真を見ると…」
Ⅲ 父の遺品 一九八七 盛夏
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それによると父が残したオーディオのセットは、スピーカーが「ヤマハ1000モニター」でパワーアンプは「TRIO・L―05M」。
コントロールアンプは「KENWOOD・L―08C」で、レコードテーブルは「マイクロDD―8」、そして前面型のカセットデッキは「ティアック・f550RX」で、値段的にも性能的にも優れている物であった。
レコード盤は、MJQのLPが数枚あったが、ほとんどがカセットテープで、ビートルズ、岡林信康から吉田拓郎などの初期のフォーク系の歌が多く残されていた。ただ、幾つかのカセットテープは磁気部分の経年劣化が進み、再生することが躊躇われた。
羅列した音響機器の名称と残されたカセットテープやレコード類を見ると、とにかく驚くことばかりである。まったく知らない父の姿がそこにあった。(音楽も好きだったんだ。カラオケを歌っている姿など、見たこともなかったけど……)
僕はCDデッキを手に入れ、父の残したコントロールアンプに繋いだ。モニターから流れる僕の大好きなブルース・スプリングスティーン。「Boss」の声はあまりにも切なくカッコよすぎだ……。
『Nebraska』の「My Father's House」。
─「I walked up the steps and stood on the porch
A woman I didn't recognize came and spoke to me through a chained door
I told her my story and who I'd come for
She said "I'm sorry son but no one by that name lives here anymore"」―
父のことが大好きだったはずの僕は、父の幼い頃や学生時代、更には青春時代を何も知らない。父がどのように悩み、笑い、そして傷つき、過ごしたのか。まして父と人生について語り合い、互いに意見を交わしたことなど一度もなかった。
2
父の遺品の中に、アタッシュケースのような古い手提げ鞄があった。表面は布製で、古く黄ばんでいる。所々が破れて捲れあがっていた。
カバンの四隅にはL字の金具が打ってあり、入手当時は金色であったと思われる丸い留め金は、劣化によりメッキが剥がれ緑青が浮いていた。鞄の取っ手には細いチェーンで繋がれた鍵が付いている。
「母さん。この鞄には何が入っているの?」
僕は五〇年代を感じさせる小型の鞄を差し上げた。部屋の隅で父との写真に思いを馳せていた母は、アルバムから目を離すと僕の差し上げた鞄を見た。
「ああ、その鞄ね。多分、お父さんが一番大事にしていた物かも知れんね」鞄を持ち上げた時、何か紙類のようなカサっとした音がした。(書類か何かだろうか……)
僕は取っ手に付けられていた鍵を鍵穴に差し込み時計回りに回した。すると、ギィという鈍く堅い音がして鞄は開いた。そこには綴り紐で閉じられた現金書留の領収書の束と数枚の葉書、それに父宛ての茶色に変色した封筒が何通か入っていた。
現金書留の最初の消印は、昭和三十年六月十二日となっている。僕が生まれる六年も前のものである。最後の日付は、昭和四十二年三月十八日。領収証を確認すると約十二年間、毎月同じような日付で送金されている。金額は最初の頃は一万円、途中から一万五千円になり、最後の方は二万五千円になっていた。