「宛先は慈福園ってなってるけど。これって児童施設かな?」
「そう。長野のお寺の中にある児童養護施設だそうよ。お父さんが、とても世話になった人の子どもさんが預けられていた施設やそうよ」母は複雑な表情を浮かべ言葉を続けた。
「もちろん、母さんもその施設に父さんがお金を送っているのを知ったのは、結婚して四か月近く経ってからかなぁ。結婚した時には、その鞄は既に持っとったよ。しっかりと鍵がかかっとった。『中に何が入っているんやろう?』と興味が湧くのが人情やわね。
父さんが仕事で留守の間に、中を見たろうと思って鍵探したけど、結局見つけられんかった。鍵は自分で大事に持っとった。父さんが鞄の中身を見せてくれたのは、半年ぐらいしてからや。それも私が父さんに鞄のこと尋ねて漸くね」
前にも話したが、父と母は見合い結婚であった。父は東紀州の鉄道の隧道工事のために牟婁地区に来ていた。その時に食事の世話をしてもらっていた旅館の主人の紹介で見合いをし、その一週間後に結婚をしたのである。
「今では考えられんわねぇ」
母が父との結婚話をする時の決まり文句である。当時の人たちは、親が決めた相手との「見合い結婚」が普通で恋愛結婚は少なかったようだ。結婚の直前まで名古屋で働いていた母は、親からの緊急の呼び出しで帰省をすると、それが父との見合いであった。出会って一週間後には結婚式だと連絡があり所帯を持ったのである。
「結婚するまで父さんの躰に『刺青』が入っているなんてねぇ。思いもせんわねぇ」相手の性格も生い立ちも知らない。お互いに猜疑心を抱えたままで三か月を過ぎた頃、「私に対する態度が明らかに変わったんや」母は少し自慢げに僕に顔を向けた。
母の話によると、結婚当初父は母に「毎月の生活費として幾ら必要か?」と尋ねたらしい。
「所帯を持ったこともないのに、幾らかかるかわからない」
母が答えると、
「そうしたら、父さんから生活費として二万五千円を渡されてね」取り敢えず貰ったその金で何とか遣り繰りした。
【イチオシ記事】あの日の夜のことは、私だけの秘め事。奥さまは何も知らないはずだ…。あの日以来、ご主人も私と距離を置こうと意識しているし…
【注目記事】ある日今までで一番ひどく殴られ蹴られ家中髪の毛を持って引きずり回され、発作的にアレルギーの薬を一瓶全部飲んでしまい…