【前回の記事を読む】わずか70騎で平家と対峙した源義経——「一ノ谷の戦い」では、急峻な崖から駆け降りる決断をした。生死を賭けたその理由には…

第一章

元暦元年(一一八四年)
旧暦二月七日辰一刻 二十六歳
一ノ谷

戦始末の様子を見分しに、従卒を連れて浜を歩いていた九郎は、山際に部将、熊谷直実(くまがいのなおざね)の姿を見た。砂を踏みしめながら近寄ると、崖下で土を掘る郎党に指図をしていた熊谷が振り返り、義経に跪いた。

「殿」

「何をしている」

「塚を作っております」

「誰の塚だ」

「敦盛公(あつもりこう)注1の胴塚にござります」

「そなたが討ち取った、公達(きんだち)注2か。兵卒に任せておけば良いものを」

熊谷は答えなかった。頭を垂れたまま暫しの後、やっと低い声で、

「某(それがし)自ら、冥福を祈って差し上げとうございます故」

と云った。

九郎は熊谷を見詰めたまま暫く沈黙した。

「その笛は何だ」

と、九郎は熊谷の手にしている龍笛(りゅうてき)を見咎めて云った。

「敦盛公の遺品にござる」

熊谷が、自らの嫡男と同じ年頃の平家の公達を討ち取って悲しんでいるのを、九郎は知っていた。それを知った刹那、ふとその心を憐れと思った自らに、腹が立っていた。

持てる者には持てるが故の苦しみがあるのだろう。己には持てる物など何も無い。

平家の将は皆あの清盛公(きよもりこう)に通じている。これもその親族だろう。連中が一族うち揃って睦み、贅沢三昧に暮らしている時、己はどんな境涯にいたか。父を殺され母を穢され、自らも数々の汚辱を飲まされ、食うにも困り、寂寥と窮乏の極みを生きてきたではないか。

己は奴らにされた事を返したまでだ。そう念入りに自らに言い聞かせてきた。

しかし無論熊谷にはもとよりその存念は無いのだとはさすがに分かっている。将兵は命じられて、或いは武功を立てる事を本意に戦うだけなのだ。

その熊谷に向かって、九郎は苛立ちを抑えるようにして云った。

「敵に情を掛けるか、熊谷次郎直実。殺さねば汝が殺されるのみ、云うも愚かなり。戦場(いくさば)には、汝の煩悶の答えは落ちていないぞ」

そして踵を返すと、砂を蹴って帰っていった。