十年ぶりに会う兄の目で言った。このときの意留は、前年に隠居した父・意正の家督を継いで相良藩の藩主となったばかりだった。だが幕府での位置もナンバー5あたりの雁ノ間詰なので、二年のうち丸一年は毎日参勤しなければならない。さらには隠居してわずか三月余りで意正が亡くなってしまったため、後見も助言も得られず幕政に四苦八苦していた。

嫡男の意尊はまだ十八歳で、藩を主導するには荷が重い。対して意義は四十歳。あわよくば弟にしばらく繋ぎの役を、と考えていたのだろう。それゆえに意義が持ってきた厄介事にも快く頷いた、ということか。兄の心中を察した意義だが、その場に伏して返答した。

「申し訳ありません。私なぞは器ではありません」

兄はため息をついてから苦笑いを浮かべた。

「即答はなかろう。せめて『少し考えさせてくれ』くらいのことを申したらよかろうに。だが、それがお主なのであろうな。まあよい。しばらくゆっくりいたせ」

だが、次なる要件があるとすぐに宿に戻ってしまった。兄上は気を悪くしたかもしれないな。それにその後、嫌なものを見た。相良にいた頃の友人が宿を訪ね、吉原に誘われた。遊ぶ気分ではなかったので、茶屋の前まで同行し中に入ったふりをしてすぐに店を出た。

そこで、あの女を見かけてしまった。あの女とは、意義が田沼家を勘当されるまで妻として寄り添った葵だった。葵は白粉を塗りたくり、けばけばしい紅を引いていた。

        

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次回更新は3月1日(土)、11時の予定です。

 

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