走って逃げるべきか、と手綱を強く握りしめたときでした。フルールは、リリーのほうをちらりと見ました。リリーには、彼女が「大丈夫」と口角を上げたように見えます。
「大丈夫……なの?」
フルールは、脚を折ってリリーが降りやすいように体勢を低くしてくれました。
リリーは、恐る恐る地面に降りて、オオカミの前に立ちます。その瞳の鋭いきらめきにひるみそうになりながら、「あの……こんにちは」と、やっとのことで口にしました。その声は、細くふるえています。
オオカミは、ちらりと自身の後ろを見やりました。
すると、その背後から十歳くらいの子どもが現れます。白い布を巻きつけただけのようなうすい服、白い肌に白い髪、そして特徴的にとがった耳。それは、おとぎ話に出てくるエルフでした。
「あ、あの……」
「人間に会うのは何十年ぶりだろう。君が、今の『春を呼ぶ少女』なんだね。……あの子とそっくり」
その声は平坦で、少女のようにも少年のようにも聞こえました。ただ、最後の言葉には、切ないなつかしさと、少しのさびしさがにじんでいます。
「あの、あなたはいったい……誰、なんですか? それに、『あの子』って……」
「ぼくは、冬の神様のお使いのエルフ。名前はパール。まあ、この名前はあの子にもらったから、初めからあったものじゃないけどね」
パールは、となりのオオカミをちらりと見て言いました。
「こちらが、かの有名な冬の神様であらせられる。普通は人間の前に姿を現したりしないんだけど、君がすごくあの子に似ていたから、なつかしくなって、ここまでいらっしゃったんだ」
パールの言葉に、そのオオカミ—冬の神様は、静かにうなずきました。
「『あの子』っていうのは、いちばん最初の『春を呼ぶ少女』のこと。あの子はやさしいから、春を呼ぶ仕事は、自分の子どもが大人になってから継がせるって決めたみたいだね。それから、春を呼ぶ仕事は、親から子へ、またその子へと受け継がれていった。でも、君はまだ大人になる前に、春を呼ぶ仕事を継承した。だから……よけいに、あの子がまたここに来たみたい」