第二章 自己心理学から見た各支の意味

「有」とは、「自分の存在のあり方」のこと

十二支縁起においては「無明」(錯覚としての自我)を意味します。自我を構成する五つの要素が、五蘊であります。五蘊への執着(五取蘊)によって「迷いの生存」(自我)が形成されます。

つまり、五蘊への執着を断つことが「迷いの生存の再生」(自我の再生)を終わらせることであると語られます。

『無明とは大いなる迷いであり、それによって永い間このように輪廻してきた。しかし明知に達した生けるものどもは、再び迷いの生存に戻ることがない。』(スッタニパータ 730)

『この世の人々は、迷いの生存に執着し、迷いの生存を楽しみ、常に迷いの生存を喜び、迷いの生存からすっかり解脱することが出来ない。』(ウダーナヴァルガ 32章34)

『生存に対する妄執(欲望)を断ち切り、実体についての固執を断ち切った修行僧にとっては、生まれを繰り返す輪廻が滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。』(ウダーナヴァルガ 32章47)

『世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとづいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、繰り返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。』(スッタニパータ 728)

『生存を構成する五つの要素(五蘊)をすっかり知り終えて、その根は絶たれたままである。』(テーラガーター 120)

アンリ・アルヴォンによれば、生存の素因とは、生存を構成する五つの要素、つまり五蘊のことのようです。五蘊とは、自我(自己意識)を構成する五つの要素であります。

『自分にひとしい、あるいはひとしくない生まれ、生存(自我の生まれ)をつくり出す諸行(五蘊)を聖者は捨て去った。』(ウダーナヴァルガ 26章30)

十二支縁起は、自我の存在を前提としています。自我という迷いを抱えた存在(有)だからこそ、どう生きるかという「生き方」が問われることになります。