先に記したとおり、信氏は恩人・備中守景綱と頻繁に文を交わしてきたが、このところ、景綱の病が重くなっていくごとに、文は短くなり、やがて返答が途絶えた。白石城中で病床にあるはずの景綱を何としても見舞いたかったが、それは叶わなかった。

城中で対面した小十郎重綱は、信氏にとってこの時が初対面である。噂には聞いたが、年の頃四十歳前後とは思えない、全く若々しく溌溂(はつらつ)とした様で、容姿秀麗な若武者ぶりであった。

父・景綱の小十郎評は常々芳しくなかったが、政宗らが最も期待をかけている近習との噂に違わぬ、頼もしい若大将に相違なかった。

「物頭役・伊藤肥後信氏、命により鉄砲隊百人をもって、片倉様の元へ罷り越しました。何とぞよろしゅうお引き回しのほどを」

「役目大義! 肥後殿、よう参られた。肥後殿のことは父から重々伺っておる。肥後殿は平時ゆえでも鉄砲隊の鍛錬を怠らぬ、気骨ある老将故、頼りにせよと父は仰せじゃった。

この小十郎、戦の少ない世に育ちし若輩故、いかんせん戦慣れしておらぬ。此度は昨冬の籠城戦ではなく、おそらく激しい野戦になろう。さすれば、戦国の世にあった肥後殿の如き、老輩の方々の与力が何としても必要となる。こちらこそよろしゅう頼みますぞ」

「勿体ないお言葉、痛み入りまする!」

文が途絶えたとはいえ、景綱が抜かりなく、信氏について息子の小十郎に知らせていた。戦(いくさ)場では指揮命令系統をいかに円滑にするかが肝要。初対面でも主従が互いを十分知り、誼を通じ、存分に働ける環境ができる。信氏はここにも景綱の人徳を感じた。

信氏はじめ、鉄砲隊を率いる足軽頭たちが、白石城に続々と集結。揃ったところで、いよいよ総出陣の運びとなった。

「これより大坂へ出陣する! 先陣、伊藤肥後!」「はっ!」

「おのおの方! 我ら伊達の鉄砲隊、目にもの見せてくれようぞ。大坂方なぞ素浪人どもの烏合の衆、何ぞ恐るることやあらん! えいえい……」

「おおおー!」

先陣を命ぜられた信氏の、ひときわ大きな掛け声が、白石城内に響き渡った。城中で病床にある備中守様にも届いてほしい。信氏のそんな思いが、掛け声に込められていた。

片倉小十郎指揮の鉄砲隊は、仙台から南下してきた伊達政宗本隊や、他の伊達勢と合流し、一路奥州街道、中山道を経て大坂へ進軍していった。

さて、前年の大坂冬の陣以来、徳川方の軍勢が一路大坂を目指したが、信氏が加わった片倉隊のように、百戦錬磨の老将らが、勇ましく戦場に足を踏み入れる……そんな軍勢ばかりとは限らないのが現実だった。

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