「ねぇねぇ、田所さんだけど、見ないと思ったら行方不明らしいわよ」

フロアではさっきから噂好きの明美が、パートのオバさんをつかまえて田所の失踪についてしゃべっている。内容は取るに足らない噂話の域を出ない。

明美の声で我に返った雪子は、自分が知らず知らずのうちにニヤついていたことに気づき、画面を閉じて仕事に戻った。定年間際で書類に判子を押すだけの係長と違って、平の事務員は忙しい。話には加わらず、ひたすら伝票処理や決裁書類の作成と確認を行う。

「あっ、そうだ雪子ちゃん、放送お願い」

「そうでしたね」

覚えていたのかと内心舌打ちし、雪子は放送室に向かった。防災無線による放送は格好のクレームの的だから、なるべく使いたくなかった。

「こちらは広報緋桜(ひざくら)です。飛熊市緋桜町にお住まいの田所治さん七十五歳が、六月一日頃から、行方不明になっています。体型は中肉中背、身長は百六十センチ程度、見かけた方は、緋桜支所までお知らせください。繰り返します、飛熊市緋桜町にお住まいの……」

お決まりの定型句を吹き込んで録音する。面倒だなと思いつつ使用申請用紙を記入し、明美の決裁を取って録音を再生した。

     

【前回記事を読む】金魚の水槽にCO2添加剤を放り込んだ。やがて金魚の動きは鈍くなり、水面に顔を出した。ぱくぱくぱくぱく、命乞いみたいだ。

次回更新は2月5日(水)、22時の予定です。

   

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