おかげで手元が狂ってしまった。ガチンと音を立てて鎖骨に鉈が食い込む。乱暴に引き抜いたら、骨の欠片と肉が剥がれた。
「ひぃ……ひぃっ」
ぐしょぐしょの顔で、田所が雪子を見上げる。見つめられすぎて穴が空きそうだと雪子は思った。
「どうしてそこまでして生きたいんです?」
どうせ死は避けられない。なのに、血塗れでのたうちまわりながら命乞いする田所の気がしれなかった。
「そうだ。ねぇ、ここに今のあなたの気持ちを書いてください」
雪子は田所の手を解き、ペンを握らせた。ゴミの山から裏が白紙の広告を引っ張り出して目の前に置く。
腹ばいになった田所が震える手でペンを動かす。「しにたくない、たすけて」ミミズの這ったような字でそう記されていた。
「ではご希望どおりに」
一分一秒でも永らえられるように、雪子はあえて致命傷を避けて刃物を振るった。
「ぎゃあぁ……ぁぁ」
悲鳴が次第に弱々しくなっていく。それでも田所は懸命に転げまわる。まるで喜劇だ。自分は無慈悲な殺人者で、田所は憐れな犠牲者。市役所では随分威張ってくれたが、場面さえ変われば立場など簡単に逆転してしまう。
やがて絶叫は完全に途絶えた。
雪子はラジオのスイッチを切った。床には赤い海が広がり、空には青い月。映画のワンシーンのような光景だ。人間の壊し方や犯罪の後片づけの仕方、あらゆる非合法な手順や方法を雪子に教えてくれた優一郎がここにいたら、きっと鼻歌を歌いながら絵でも描き始めるに違いない。
「人間は血を流して死んでいる時がいちばん美しいね」と楽しげに呟く彼の声が、耳の奥に蘇った。だがそれは一瞬で、すぐに静寂が耳に蓋をした。
「本当に静かで奇麗な夜。ねぇ、優一郎さん」
雪子はポツンと呟いた。