2-1-4
【訳】
山里は冬の訪れとともにひときわ寂しさが募ってくる人の気配も途絶え草も枯れ尽くしてくる
【歌人略歴】
源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん) 生年不詳 -940年。平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。光孝天皇の孫で是忠親王の息子。894年源朝臣姓を賜与されて臣籍降下した。「寛平御時后宮歌合」や「是貞親王家歌合」といった歌合せに参加。紀貫之との贈答歌や伊勢に贈った歌などが伝わっており交流がうかがわれる。『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集している。
家集に『宗于集』がある。六歌仙の一人。
2-1 解説
八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり
さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ
み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり
山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば
ここから第2章に入ります。第1章と同様、季節の移り変わりの中での自然のたたずまいが様々に歌われることになりますが、第1章と異なるところは、歌い手の感情なり、人の感情が深く詠み込まれていることです。
この第2章の第1節では、秋から冬にかけての風景を歌いつつ、「さびし」という気持ちが詠み込まれています。
第1首と第2首はまるでセットで一首かと思えるような組み合わせで、見捨てられた屋敷の寂しさ、引き続いて外に出てみれば秋の夕暮れがいずこも同じく寂しいと歌われています。
第3首と第4首も同様にセットで一首かと思えるような組み合わせで、吉野の山里の秋から冬にかけての寂しさを格調高く歌っています。衣を打つ音が山里に響き渡る風情が寂しさを一段と引き立てます。
【前回の記事を読む】【百人一首考察】神を歌い込んだ「紅葉のにしき 神のまにまに」歌人は天満天神・菅原道真。果して定家が意図したものなのなのか…
【イチオシ記事】「歩けるようになるのは難しいでしょうねえ」信号無視で病院に運ばれてきた馬鹿共は、地元の底辺高校時代の同級生だった。