「やさしい、いい息子さんがいるって言っていたよ。こうして訪ねてきてくれて、きっと喜ぶよ。お父さん、長く一緒に働いていた人を先月亡くしてね、その人はお父さんと同じで心臓が悪くて、それで尚のこと落ち込んでいたから」

僕はこの間の電話の理由を垣間見た気がした。それと同時に、たった一人、部屋で倒れる父を想像した。それはとても寂しいことのように思えた。

「父が一人で、誰にも気付かれずに倒れているなんてことはあり得ますか」

僕がそう言うと、妙な顔が返ってきた。その瞬間、僕は自分が見落としていたことを察した。

「父は、どこに住んでいるんですか?」

相手が返事を迷っている間に、僕は続けて言った。

「父は誰かと暮らしているんですか?」

父が今も僕の知らない誰かと生活をしていることは、僕が思いもしなかっただけで、十分あり得ることだった。むしろ、その方が自然なことなのに、僕は父が一人でいると思い込んでいた。

「お父さんは女の人と一緒に暮らしているようだけど」

そう重い口から語られたのを聞いた途端、僕は突然頭を殴られたような気持ちになった。

僕が父に会うことはなかった。どうやって父の職場を後にしたのか覚えていない。気が付いた時には帰りのバスに乗っていた。

「やさしい、いい息子さんがいるって言っていたよ」

そう言われたことが脳裏に張り付いていた。僕にとっては呪いの言葉のように思えた。

いい子なんかじゃない。

僕は悔しくて仕方がなかった。膝の上で固く握った拳が、ぽつぽつと濡れた。

父の存在に答えを出したかった。悪い人なら憎むことができた。弱い人なら許すことができたかもしれない。僕はやっと見つけかけていた答えを見失ってしまった。

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