インビジブルマンシンドローム

黒板がよく見えるから、席が鈴木君の後ろでよかった。

美術の授業で、先生は、黒板にいくつかの絵を描いた後、前後の席で向かい合い、お互いを描くように言った。

短い時間で特徴をとらえるクロッキーという手法を使い、人物を描画するという課題で、思ったよりも難しく、首から肩、腕と描いていくうちにバランスが崩れてきて、増える線に比例するぎこちなさに、私はかなしくなってしまった。

進路相談の時間に先生から言われたことが、ちらついて離れないせいだと思った。

「やりたいことが何もないなんて、かなしいことだね」と先生は言った。

「何かないとだめですか?」と私が聞くと、先生は困ったように笑いながら、「すぐにおばあちゃんになっちゃうよ」と言った。

結局、私は決められた時間内に全身を描き切ることができず、鈴木君に未完成の絵を見せるのが申し訳ない気持ちになった。

「やりたいこと、ないの?」と鈴木君は聞いた。

私と先生のやり取りをどうして鈴木君が知っているのか不思議に思っていると、鈴木君は進路相談の順番を待っている間、聞こえてきたのだと言った。

「一週間後に小惑星が衝突して、地球が滅びるっていうなら、あるかもね」

お互いの絵を並べる。鈴木君の絵は、迷いのない、きれいな線が心地良かった。鈴木君の描いた私の隣で、私の描いた顔のない鈴木君は、居心地が悪そうに見えた。

「何かないとだめなんてこと、ないと思う」と鈴木君は言った。

塾へ行く途中で鈴木君を見かけたのは、その日の放課後のことだった。

道路沿いの錆びたガードレールを越え、下った所に、林に囲まれた池がある。

鈴木君は、その池のほとりに座って絵を描いていた。下りていって声をかけると、鈴木君の描いている絵が見えた。一人ぼっちの子供が、池のそばに座っている絵だった。

絵の中の子供は、後ろ姿で顔が見えないのに、なぜか泣いているように思えた。

「どうして池を描いているの?」と私が聞くと、

「池は秘密を隠しているから」と鈴木君は答えた。

底に沈む老木が見えるような池に、隠し事なんてできるようには思えなかった。

「秘密って何?」と続けて聞くと、

「例えば、形あるかなしみとか」と鈴木君は言った。

風に揺らされて、重なり合う葉の音につられたように、カラスがギャーギャーと騒ぎ立てた。

「次の美術の課題で優秀な作品は、夏の間、美術館に飾られるんだって。僕はそれで証明したいと思う」