第一章 一九九八年 夏
八月十八日(火) 晴
早朝の安眠妨害
着任以来、北朝鮮のテレビ放送は宿舎のテレビでは見ることができていない。南と北で放送方式が違うためではあるが、その変換装置をつけているのに入らないのはどうやら電波が弱いためらしい。
北側では、KEDOの敷地内でも視聴できるように電波中継所を建設中で、二カ月後にそれが完成すればよく映るようになるらしい。北側では我々のために(?)サービスをしているのだと言っているのだが、本音は違うところ(主体(チュチェ)思想の宣伝?)にあるのかも。
当面はラジオの有線放送で間に合っているといえなくもない。それにしても、毎朝五時に拡声器を通じて流れてくる北のラジオ放送は安眠妨害だ。
無事に届きますように
朝、通信所(郵便局)に立ち寄り日本宛ての絵葉書を投函。切手はUS五十セント。いつ届くかはさておき、途中で検閲はないのかが心配になった。なぜなら文面に「最貧国にある別天地に到着した」とか、「自由と家庭がない点を除いては何不自由なく生活している」などと書いてあるからだ。
八月二十日(木) 晴
トンネル発見
十時三十分ごろ徐(ソ)代表より「工事現場に行こう」との誘いあり。韓電建設本部工事部長と三人で問題の現場に到着。そこは原子炉建設用地として掘削(くっさく)している山の東側の中腹で、直径四、五メートルの大きなトンネルが姿を現していた。
奥がどれだけ深いのかはわからない。工事部長の話によると、北側はこのようなトンネルが全部で三つあると言っていた由。それらはいずれも本トンネルにつながっているもので、食料等の保管を目的としていたのではないかと推測される。
今後の工事の際に事故につながりかねないことから、さっそく北側にトンネルの位置を示す図面の提供を申し入れることを検討することとした。その後の調査の結果、トンネルの長さは二十メートルほどしかなく、その奥にも卜ンネルはなかったとのこと。
北朝鮮が作ったものではないようだ(第二次世界大戦中に掘られた防空壕ではないか?)。