【前回の記事を読む】「自由と家庭がない点を除いては何不自由なく生活している」北朝鮮にて非日常的な日常を過ごす。ある日港に行くと......

第一章 一九九八年 夏

八月二十七日(木) 晴

和やかな晩餐会

昨夕は小雨がちらついたりやんだりのあいにくの天気になったが、GBとの晩餐会は和やかで明るいムードに包まれていた。

ゲストハウスでの晩餐会は、会場の丸テーブルを一列に並び替えるのに時間がかかり、十分遅れの午後六時四十分から始まった。

GB側からは金局長以下副局長等八人が参加。我が方からはKOK全員と韓国電力公社副社長、韓電建設本部長、企画団から部長、課長の九人。

徐(ソ)代表の話では、GBは韓電建設本部を相手にしないとの立場であるので、今回の非公式晩餐会の名目はKOKに常駐の日本代表が着任したので紹介するということで誘ったとのこと。いずれにせよホスト役は米国代表が務めることになるらしい。

李(イ)代表はそのことについて「パンドゥシイソヤデョ(絶対出席してね)」とジョーン代表に強調して訴えていた。

また、同代表はジョーン代表の席順も金局長が座った位置の正面に座らせたり、乾杯の発声をさせるなど気を配っていた。私はホスト側ということを考え、控えめに奥側の右の末席から二番目に座ることにした。

KOK代表の服装は全員ノーネクタイと事前に打ち合わせていたので、私は襟付きのポロシャツとしたが、他は(GB側も)皆背広にネクタイで来ていた。礼儀違反かなとの気もしたが、特に問題になるような感じではなかった。

左隣に座ったGBの安光植(アングァンシク)領事担当官(五十六歳)はおとなしい人で、酒もあまり飲まず質問もあまりしなかった。

ただ、家族の訪問はいつから行われるのかとか、来年は海水浴をしたらいいとか結構我々のことを心配している様子であった。

人参酒で一番酔っぱらったのは、保安担当の金澤龍(キムテギョン)GB副局長であった。普段はあんまりお酒を飲まないとのことだが、楽しそうにはしゃいでいたので何か良いことがあったのかもしれない。

韓電副社長やGB側から杯も回り始め雰囲気が盛り上がった。話はつきない感じではあったが、午後九時少し前にお開きとなった。

酒の注ぎ足しは大丈夫

韓国では杯が空になる前に酒を注ぎ足すのは失礼になるのだが、こちらではそうでもないらしい。それを意味する「チョムジャン(添杯)」という「韓国語」を知らなかった。

また、同じく韓国のように目上の人の前で顔をそらして杯を空けるということもしない。こちらでは酒は日本式に飲むらしい。