【前回の記事を読む】【北朝鮮滞在記】外交官だから、米国海兵隊が救出に来てくれるだろう→「それまでに我々が生きていられるかが問題だ」と言われ…

第三章  一九九八~九九年 冬  

十二月一日(火) 大雪

かなり安い魚屋さん開店

いよいよ師走に入った。五日前に玉流館(オンニュウグァン)横の「商業ビル」一階に魚屋さんが開店したというので、李(イ)代表と行ってみた。冷凍の鮮魚(ヒラメ、さば、たこ等)及び乾物(するめ等)が陳列してあった。

価格はドル表示されており、するめが一枚五十セントというのはかなり安いと思う。李(イ)代表は、からし明太子一キログラムを五ドルで買っていた。

十二月三日(水) 晴

やった! 飛行機に乗れる

久しぶりに晴れ間が見え雪も解け始め、チャーター機もやっと飛んできた。明日はこの飛行機に乗ってどうやら休暇に行けるようだ。一九九八年の日誌は本日付けを「最終号」としたい。

当地から外国へ出る場合は、出入国管理事業処で在留登録(二週間以上の滞在者に義務づけられている)を削除してもらう必要があるが、私も本日その手続きを済ました。

(十二月五日から翌年一月十二日まで休暇のため三十九日間サイトを離れる)

一月十三日(水) 晴

宣徳(ソンドク)空港での口論

四十日間の休暇を終えてサイトへ帰任する道はやはり遠かった。今回は施工企業団の休暇チームと一緒に帰ることとなった。

宣徳(ソンドク)空港では新しく赴任する技術者一名のカバンが開けられ韓国のスポーツ新聞を調べているようだったので、私から税関の担当者に新聞は禁制品には入っていないので読むのを中止するよう、また、何の理由もなくカバンを開けないよう注意喚起した。

すると、先方は他人のカバンについて関係のない者が口をはさむな、検査場から出ていってほしいと反論。これに対して、私はKEDO事務所代表として議定書の手続きを守らないことに抗議をしている旨述べたところ、「共和国」を批判するような記事があっては困るので調べているとの回答。

若干の押し問答の末、特に問題もなく全員が無事通関したが、いつも何かを抜き打ち検査しないと気が済まないのは当国税関の体質か。