「うーん、そうか、でも残酷よねぇ」
ロワールの川面から吹く風が、幸の心と身体をぶるっと震わせた。気分を変えて二人はウインドーショッピングを楽しむことにした。
一軒の小さなブティックの前で、「あら、このドレスは素敵!」とクリスチーヌが言った。そこにはまるで生きているかのようなマネキンが身に着けたドレスが飾ってあった。
「あぁそうね、ディアーヌ・ド・ポワチエの肖像画にあったような薄紫のドレスだわ」と、同意すると、「サチ、きっとあなたに似合いますよ。丁度雨も降ってきたので、中に入ってみるか」とクリスチーヌが提案した。
店の中に入るとハンガーにかけられた色とりどりのドレスがびっしりと下がっていて、どれもとても魅力的だった。
その中にマネキンが着ているドレスと同じものを見つけた。薄紫の地色に所々に金色の星が刺繍されているすっきりとしたデザインのものだ。
(これを着れば絶世の美女であったあのディアーヌに少しは近づけるかも)と幸は思った。
幸がそれを手に取って眺めている間に、中年の女性店員と話し込んでいたクリスチーヌが幸の所に来て、「やっぱりそれはサチにお似合いですわよ。着てみたらどうかしら」と試着を勧めた。
「試着したら買わなければならなくなるでしょう」
「そんなことはないですわよ。試着するだけでもいいのです、ねえ、マダム」とクリスチーヌが中年の女性店員に聞いた。
「どうぞどうぞ」と、女性店員はにこやかに言った。
「じゃあ着てみようかしら」
フランス人のクリスチーヌがついているし、この女性店員とは知り合いのようだから無理やり買わされることはないだろう、と幸は薄紫のドレスを持って、うきうきした気分で試着室に入った。
着替えを始めたその時、開くはずのない正面の姿見が突然開き、一六二センチの幸の目の前に黒の皮ジャンの胸のあたりが現れた。驚いて見上げると、縮れた黒いあご髭がもみあげまでつながった赤鬼のような顔が幸を見下ろしていた。
声も出せずすくんだ瞬間、口を塞がれた。そして幸は漆黒の深い闇の中へ落されていった。
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