二、 クラブ・カルチェラタン
井原大輔(いはらだいすけ)は福岡県大牟田市の出身で、国立大学を卒業後、日本の大手商社である七洋(しちよう)商事に一九七〇年に入社した。
東京本店物資本部に配属されて五年目になる。身長は一七三センチとそう大きい方ではないが、大学でアメラグ(アメリカンフットボール)をやっていた関係でがっしりとした体躯である。
七洋商事は世界各地にビジネスを展開しているが、近年は特にアフリカのフランス語圏を重点的に攻めるための体制を整えつつあった。会社に社員向けのフランス語研修制度がある。フランス語圏を攻めるには当然フランス語能力が必須であるが、この研修制度にパスするのはかなり難しい。
井原は自信は全くなかったが、ものは試しだと応募してみたら思いがけずパスした。結果、現在彼はフランス語研修生としてヴィシーに滞在している。ヴィシーはフランス中部の温泉町で、短期間ではあったが第二次大戦中のヒトラードイツ占領下ではフランスの首都であった所だ。
語学研修生の身であるから、予定の一年間は仕事はせずフランス語にどっぷり漬かる生活だが、月に一度はパリにある七洋商事フランス支社へ報告に行かなければならない。といっても仕事をしているわけではないから、これといって報告することもない。要は無事であることを身をもって示すというのが本来の目的である。
ヴィシーから約三百キロメートル離れたパリへ、井原は当初は列車を使ったが、その内にシトロエン・2CV(ドゥーシヴォー)のボロ中古車を購入し、それで往復している。シヴォーは馬。だから2シヴォーは二馬力という意味だ。
それは一九七〇年モデルで、排気量は六〇二CCと初期モデルよりアップしている。農業国フランスの農家を狙った車であるから、農道を走るのを想定して床を高くしている。その分ルーフが高いのでおのずと背が高い形状であり、ローリング(カーブした時の車体の横揺れ)は大きい傾向がある。
井原はパリを訪れた夜には、日本レストランで久しぶりの日本食を味わう。フランス料理に不満はないが、日本人にはどうしてもやや重く、たまにはシンプルで淡白な日本料理が恋しくなる。
日本食のあとは、やはりひかえめな日本人の女だ。その夜も井原はオペラ座近くのラーメン屋でラーメンとギョウザでビールを一杯やったあとに、オデオンにほど近い、日本人経営のクラブ・カルチェラタンに向かった。