酒酔い運転は法的には禁止だが、捕まったことはない。夜のパリで酔っぱらい運転を取り締まったら、ドライバーは一網打尽となること請け合いだ。大通りを一本入った狭い路地には、乗用車がびっしりと隙間なく縦列駐車をしている。その車列の中に、自分の車が入りそうなスペースを探す。

そして前後の車をバンパーでぐいぐいと押して、スペースを広げて駐車する。ぶつけるのではなく、バンパーどうしを接触させて押し込むのがコツだ。そうすれば相手も自分のバンパーも傷ついたりへこんだりはしない。これがパリ式駐車方法である。

フランス語研修生の分際で日本人経営のクラブに入り浸るのは不謹慎だ。だが普段フランス語オンリーの世界にいると、やはりたまには祖国日本の雰囲気やにおいに引き寄せられてしまう。

更に、そこに働くホステスの幸(さち)に、井原は密かに思いを寄せていたからよけい磁石のようにその店に吸い寄せられてしまう。パリに秋が訪れると、すぐに冬の気配が漂い始め、うら寂しい気分になる。その感傷が一層この店に足を向かわせてしまうのかも知れない。

そんな心寂しい夜に井原がクラブ・カルチェラタンを訪れ、カウンターの一番端の席に座った時、店の女の子たちはまだ誰も出てきていなかった。

十分ほどすると「おはよう」と言って女の子が店に入ってくる。

「あら、井原さん早いわね」聞きなれた声が背中に響き、カウンター席へ近づいてきた。幸だ。

ほのかに男の鼻腔をくすぐるようなフローラル系香水の香りが漂う。何という名前の香水だろうか?

ストレートの長い髪が二筋三筋ほつれて白いうなじにまとわりついている。

「残念ながらクリスチーヌはまだ来ていないわね。でももうすぐ来るわよ」と幸がからかうように言った。

何か勘違いをしてるんじゃないか、と井原は思ったが、特に反応はせず、

「そうだね。クリスチーヌが来たら、またフランス語を教えてもらうよ」

「がんばってね」

その時扉が開いたので、幸はそちらを向いた。秋風がスーッと侵入し、彼女の髪を吹き上げた。その髪が井原の顔にじゃれついた。

おっと、悪くないな、井原は後ろから抱きたい気分になったが、思い止まった。入ってきたのは日本人の男四人組だった。すぐに幸はその対応に向かった。

店内にはダニエル・ビダルの『オー・シャンゼンリゼ』が流れている。シャンソンやその時々に日本で流行っている音楽が流れるので、それを聞くのも井原の楽しみの一つである。

月に一度パリへ来て、一日の最後にはクラブ・カルチェラタンへ寄る、あとはヴィシーでのフランス語にどっぷりの毎日で月日が流れる。

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