1 さて、お別れに、何を残そうか……
(4)「来し方」の総括と「行く末」の目途
人間の脳は、楽しい記憶しか残さないとも言うが、身体や心に受けた傷が時間とともに癒えるように、人生の様々な事柄は、あれはあれで良かったのだ、あのときはあれしかなかったのだと、思い出のファイルになった後、自己を肯定するように書き換えられていく。
思い出の中には、人生の分かれ道も見える。その当時は、自分で判断したり、成り行きにまかせたりして、目の前の事柄に対処していった。
それが、配偶者を選んだり、職業を変えたりといったような、はっきり分かれ道だと分かるもの以外でも、自分の人生を左右した事柄が、そのときの判断や感情とともに思い出の中には記録されている。
人の身体はその人の食べたものでできていると言うが、人の精神(個性)は、その人の思い出でできている。私の計算だと、65歳の人の全精神量の3割はいわゆる " 三つ子の魂 "、5割が "思い出 "、2割は " 習得した知識など "となる。
「来し方」とは、多分に間違った道筋を辿った人生でも、それでいいんだよと自己肯定されている思い出である、とは少し甘すぎであろうか。いや、別に人様に迷惑をかけるわけでもない個人の思い出など、甘くていいのである。
反省などしても何の役にも立たないから、無条件に、自分の「来し方」は実に楽しかったと思い込めば、そのようになる。
ところで、「来し方行く末」には、今がない。今は、どうしようもなくありのままの今があるだけである。
しかし、繰り返し強調するが、今をどう過ごすかは重要である。若いときの今は、「行く末」のために準備をする時間が多くあったが、私たちの今は、置かれた状況の中で現在を楽しむためだけの時間である。