ある会合で先輩が挨拶をされた。

曰く、「年をとると、キョウイクとキョウヨウが非常に大事になる。今日行くところがある、今日用事がある、という生活を心がけなければならない。」

さて、「行く末」の目途は、いつ訪れるかもしれない" 死 " を隣に置いて考えなければならない。死を考えるのと死を待つのとは違う。何歳になっても、「なりたい自分イメージ」は必要であり、若いとき以上に、それが日々を生きる支えともなる。

イメージの描き方は、10代20代のときより簡単かもしれない。若いときのものは、自分を形づくるための夢と希望と不安でできているが、65 歳のものは、なりたい自分というよりも「やりたいことをやっている自分」を具体的にイメージすればそれでいい。病気や死で、ゲームオーバーになっても、文句を言わないという心がけを持っていれば。

「来し方行く末」を、最も端的に言い表している言葉に、千曲川旅情のうた(島崎藤村)がある。

「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ

この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ」

              ‌              (千曲川旅情のうた ―落梅集より―)

訳すまでもないが、まぁ、「昨日も何とかなったし、今日も凌げそう。だから、明日のことなんか、あれこれ悩まなくてもOKよ。」とでも解釈できる。

これは、昨日、今日、明日だから、時間軸を少し伸ばすと「来し方行く末」になる。藤村流だと、「過去はいろいろあったけど何とか凌いでくることができた、行く末のことはあまり悩まなくても何とかなるのではないだろうか」となる。これは、極意に近い。