「宗易様の熱心さには、只々頭が下がるばかりでございます。毎日何百という器をご覧になり、取り上げない日もあり、同じく見えるものからたった一個を長い時間をかけて選ばれる。それでいて今回お選びになった五つの器は皆姿が異なっています。何が基準なのですか」
「私の掌です。両手で包み込んだ感覚そのものなのです。それにしても堺の茶会で見ていた器がこの場所で作られていたとは、驚くばかりです」
「宗易様の『なり』と『ころ』に叶う物とお出会いになられたのですね」
「はい。これは井戸と言っております。私の茶の師匠武野紹鷗様も一つお持ちでした。私も似たようなものを所持しておりますが、大きすぎますし粗すぎまして、今一つしっとりときませんでした。
一年半前の九月、天王寺屋さんをお呼びした際、それを手桶の前に置いて一服差し上げました。昨年の暮れには奈良の松屋さんをお呼びして、天目で濃茶を差し上げた後薄茶で井戸を使いました。どちらも喜んで頂いたのですが、持つ手に、ややなじまないものを感じておりました。
高台が高く竹の節のような物や、まるで刀の『梅花皮(かいらぎ)」の様に見える釉の縮れが、強く出過ぎているのは、お武家様には好まれますが、私は余り好きになれません」
そう言って宗易は小ぶりな井戸を左右の手で包み込んだ。濃茶には、やや恥ずかし気である。高さは二寸(六センチメートル)に満たない。
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