第一部

幼少期

さすがにもうごまかし切れないと私は悟り、学校へ行くようになった。ただ、毎日必ず保健室へ行くようになった。理由は、よく分からないが、たくさん人のいる教室よりは保健室の方が落ち着いたのだと思う。

しかし、毎日のように保健室に行くようになった私は、突然、保健室の先生から「毎日来るくらいなら休めばいいのに」と、信じられない言葉を言われた。

一瞬、どういう意味なのか、ポカンと開いた口が塞がらなかった。

その旨を母に伝えた結果、体調不良という理由で、学校を休めることとなった。しかし、今度は担任の先生から「毎日休まれては困ります!」と母に電話があった。子どもながらに、大人はなんて身勝手なのだろうと思った。

休めと言われたり、来いと言われたり……先生たちの言葉に納得がいかなかった。保健室の先生や担任の先生にも不信感を抱いたままではあったが、無事小学校を卒業した。

しかし、この一連の話を、父はまったく知らなかった。

父は、ちゃんと学校へ行っているものだと思い込んでいたようだ。父と母は子どもの変化などの情報交換、連携もとれておらず、この時点ですでに二人の関係も冷え切っていたのかもしれない。

そして、中学生になっても、私は毎朝、恐怖との闘いだった。学校へ行くことがとても怖い。しかし、学校へ行かなければ家でどんな扱いをされるかと考えると行くしかなかった。

この頃になると母は「休まれると私がお父さんに怒られるんだからね」が、口癖のようになっていた。口を開けばそればかりだ。

なぜ、私の心配ではなく自分自身の心配だけなのだろうか。父が怖いというのは、私にもよく分かることだったが、私の心配はしない母親にどこか絶望していた。

まだこの頃の私には、無理にでも学校へ行ける気力があった。しかし、その気力は次第に確実に失われていった。