座敷に座ったまま、自分の吐き出した物を片付けながら仙一は真っ赤な顔をして矛先をその一夫に向け「お前の彼女はあのタバコ屋のおばさんけえ」と一夫に向かって言い放った。
会社の門を出て、南へ10軒程行った市電の停留所前の、タバコ屋のおばさんを当てずっぽうに言ったのだ。一夫は度々先輩達に頼まれて、文句を言いながらも内心そのタバコ屋へは喜んで使い走りをしていたのだ。
タバコ屋のおばさんの名前は朝倉タエ。40過ぎの、色白で色気のある自称〝元祇園芸者〟。
みんなの気持ちを分かって、さらに色気を振り撒いてタバコ屋を営んでいた。一夫自身も、確かに使いっ走りを口実に、そのタエさんに会いに行く様なものである。
タエ自身は、一夫の事はまだ子供気の抜け切らない普通の若者で、背も低く、顔も取り立ててよくもなく、色も黒い一夫など端から相手にもしなかった。
彼女には、通い夫が週に1度の割合で通って来ては1晩泊まって帰る、日陰の身であるが、それは、公然の事実として、近所でもみんながその事は知っていた。
彼女自身は、一夫と同じ様な年頃の少年でも、仙一に対しての内心は少し違った。若いにも関わらず大きな体躯と、ハンサムな風貌の仙一には、内心ただならぬものを感じていた。そんな、タエの気持ちなど知る由もない仙一。
しかし、一夫はタエの言葉尻や僅かな振る舞いを横目で見て、仙一に対して少し嫉妬めいた気持ちが心の内にはあった。
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