しかし、酒を飲みながらの夕食は雑談を交えての楽しい一時(ひととき)だった。
親方である杜氏の木本弥平は、寡黙で優しい人でいつも穏やかに酒を飲みながらの夕食である。杜氏の直ぐ次に、頭という役割が杜氏の下で現場管理をしたり、みんなの面倒を見る。
全体的には、部長の様な存在であるが、この人が又味付けなど、料理に口うるさい人で、常に料理の細々とした味付けなどの小言を言う。
「おばさん、今日の味噌汁は薄いなぁ、まるですまし汁みたいや」とか、「今日の筑前煮は、甘さが足らんのと違うヶ」と、いった具合に。
それでも、賄いのおばさんは慣れたもので、仙一にウインクをして笑いで飛ばす。頭の名前は川端安夫、うるさいながらそれでも彼は善人でみんなに好かれた。
文句ばかりではなく、時にはおばさんの糠漬けが美味しいと褒めたり、焼き色の付かない上手に仕上がった出汁巻きを「おばさんの出汁巻きは料亭並みで美味しいなぁ」と、褒めるポイントも弁(わきま)えてなかなかの役者。
だから、全体的には仕込みの最盛期以外は、いつも穏やかで明るい食事模様だった。
仙一が入社して、自分より1つ年上の吉田一夫が、やっと賄いから解放された喜びか、隣の席から、何かと食事の最中に仙一に話しかけて来る。1つ年下の仙一を、友達か兄弟の様に面倒も見てきた仲の良い先輩だった。
一夫が先輩であるにも関わらず、いつの間にか「一夫」とか「お前」と、呼び捨てになっていた。夕食のその時も、一番末尾で座って食べていた仙一に「お前、田舎に彼女は居るんケ?」と一夫が。
それは、ごく普通に若者がする発言だったのだが、不意を突かれて仙一は思わず食べていた物を口から吹き出した。近くで食べていた先輩の山村薫が「汚いなぁ」と、笑いながら茶碗を持ったまま、顔と身体を斜めに背けた。