しかし、夫は、
「男同士だから、俺がやるよ」
と言って、それらの介護を率先してやってくれた。
これには、私は頭が上がらなかった。
職場の同僚にも、
「そんなことしてくれる旦那さん、普通いないよ」と驚かれた。そのことについては、東京にいる兄も気にしていたのだろう。
本来、子どもである自分たちがやるべきことを他人がしてくれているのだ。
一度、兄が夫の実家である離島に遊びに来た時、兄は夫のお父さんに頭を下げた。
「息子さんに、うちの父が大変お世話になりました」と。
私は、それを聞いて、目に涙が滲んだ。
兄も、長男として、夫に申し訳ない気持ちでいたのだと分かったからだ。
お義父さんは、
「うちの一郎がなにか役に立ったんだったら、良かったです」と静かに言った。
夫は、私たち家族にとって、婿、という前に、恩人なのだ。
三か月後、母は退院したが、足の調子はそれほど良くない。買い物や、そのほかの生活にはまだまだ支障がある。家業の弁当屋はやめることになった。
私たちは借りていたアパートを引き払い、実家に引っ越して、正式に父母と同居することにした。
それから五年後、私は長男を妊娠し、仕事を辞め、穏やかな生活を送っていた。母の足もだいぶ回復し、いろいろできるようになっている。掃除や買い物は私が担当するが、毎日のご飯は母にお願いしていた。
なんといっても、弁当屋だったので、食べたいものを伝えると喜んで作ってくれるのだ。そんな調子だから、私は新米主婦だというのに全く料理をしなかった。
私のお腹は順調に膨らみ、あともうひと月で出産を迎える、というとき、父が他界した。
寒い冬の夜だった。
父の様子がおかしいと、ある晩、母が叫んだ。
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