その晩、母から苦しそうな声で電話が来た。

父を風呂に入れた後、部屋に父を戻して服を着せる際、床が濡れていて足を滑らせたという。

「骨が折れる音がしたと」

母に頼まれた父は電話のところまで這っていき、母に子機を投げて渡したらしい。

私たちは実家に急いだ。

母は、戸締りはしているが、調理場の高窓だけは鍵が開いていると言う。

夫が外から壁を登ることにした。

私は、外壁をよじ登る夫に言った。

「下りたとこには、でかい天ぷら鍋があるはず!」

「まじかよ。暗くてなんにも見えない!」

夫はどうにか鍋をよけて調理場に下り、中から鍵を開けた。救急車が来て、母は運ばれた。

大腿骨骨折。全治三か月の入院となった。

その間、私たちは実家で父と同居することにした。

いや、実は、一度父を「母が帰ってくるまでは」と思って施設にお願いしたのだ。

しかし、父はそこでなにかとても気に入らないことがあったらしく、親戚に「少しだけ外出したい」と嘘の連絡をして連れ出してもらい、そのあと施設には絶対に戻らない、と大声で騒ぎ始めたのだ。これには私たちも参って、東京の兄にも電話で説得してもらったが、頑として父は聞かない。

「戻るくらいなら、おいは舌を噛ん切っど!」と、そこまで言うのだ。

仕方なく、私と夫は、実家で父と暮らすことにした。

昼間は二人とも働いているので、ヘルパーさんを頼み、父の日中のお世話をお願いした。夜は二人で仕事帰りに落ち合い、母の見舞いをしてから実家に戻り、父の入浴や食事、排せつの世話、と忙しい毎日。

時間は、あっという間に過ぎていった。

その中で、やはり一番大変なのは、排せつや入浴の介助だった。