生まれた時は皆同じなのに、育っていく過程で子どもたちの世界はどんどん変わっていきます。与えられる環境でいくらでも大きく育っていけるのにと思う反面、地域経済が疲弊し、大人たちが元気を失っていく姿も目にしていると大人を責めることもできません。
そこで漠然と、家庭の経済力に関係なく誰でも好きなことに取り組める場所があったらどんなに良いだろうかと考えるようになりました。勉強が好きな子は勉強を。文化的なことが好きな子は文化を。体を動かすことが好きな子はスポーツに取り組める、そんな場所があったらどんなに良いだろうかと思い巡らすようになったのです。
構想から設立まで20年近くかかりましたが、どんな子も明るく元気に逞しく育ってほしいと願って構築したくしろ子ども未来塾。その原点は私の育った環境にあります。
子ども未来塾を我が街にも
くしろ子ども未来塾の存在を知り、「自分の住む街でも同じようなことをしたい」と遠くから見学に来られる方がいました。札幌、函館、浜中……不思議と女性ばかりでした。
旅費と宿泊費をかけて来られたので、私も精いっぱいの応対をし、事細かに説明させていただきました。皆さん、頬を紅潮させながら、頑張ってみますと言ってお帰りになるのですが、開設に至らず断念したとのことです。
理由をお聞きすると「先生たちを集めるだけの人脈がない」「会館の使用料が高くて無理」「参加者の募集方法が分からない」といった理由を挙げていました。「そうか、形にできなかったのか」と残念に思いながら、なぜ私は可能だったのだろう?と問いかけている私がいました。
「釧路だからできたのかしら?」
釧路で最も有名で活躍されていた花柳寿登芳師匠の傍(そば)で踊らせていただいていたから文化人の皆さんと顔見知りになっていたこと、若い時から奉仕団体に加入して活発に活動していたこと、その他にも、様々なイベントを企画して多くの経験を積んできたことや、会社経営に携わり人や様々な仕組みを知っていたこと、多少のことには怖気(おじけ)づかず、先ずはやってみようの精神で突き進んでしまうことなど、挙げるとまだまだありそうですが、そんな私の精神や経験だけが挑戦へと導いたのでしょうか。いえ、釧路だからできたのではないかと思うこの頃です。
【前回の記事を読む】「なにもいただかないから意味があるのですよ!」総勢60人にもなるボランティアが動かす組織とは...
【イチオシ記事】「リンパへの転移が見つかりました」手術後三カ月で再発。五年生存率は十パーセント。涙を抑えることができなかった…