第一章 『古事記』の時代背景を探る
天武天皇の即位前は大海人皇子であり、生まれ年は不詳だが、六三一年位の生まれだと言われている。彼の兄の中大兄皇子(後の天智天皇)は六二六年の生まれなので四~五歳離れていたことになる。中大兄は当時の実力者の蘇我親子を討ち滅ぼすという衝撃的デビューで歴史の舞台に登場し、十九歳で実権を握り天皇親政政治(大化改新)を始める。その当時、天武は十四~十五歳位だったと推測される。
天武は父と母、そして兄と叔父が天皇という境遇の下、二通りの天皇――権力者としての天皇と権威者としての天皇――を間近で、しかも長期にわたって見ている。そのことが、彼に天皇のあり方を考えるきっかけを与えたことは、間違いない。
そして、当時は内外ともに動乱の時代である。内においては、皇統が脅かされ、天皇が権力闘争をする状況があり、かなり混乱した様相が窺うかがわれる。中国大陸や半島では様々な王朝の興亡があり、その影響と圧力を日本が受けていた時代でもある。
これまで『古事記』は、あくまでも天皇が自分たちの支配を正当化するために作成されたと思われてきた節がある。そのため、歴史的状況は取るに足らないと思われ、まったくと言って良いほど考慮されてこなかったのだが、皇族とて人間、内外の連続して起きる予想外の出来事の数々に頭を悩ませる日々を送る中、問題意識を膨らませていったのである。
動乱の時代の中『古事記』編纂を思い立つ天武が自分の考えを形成するにあたって多くの影響を受けたのが七世紀の朝廷周辺の動向、特に蘇我氏との確執、そして大陸と半島の動向である。六世紀の終わりから八世紀の初めにかけて主だったものを並べてみた(【図1】参照)。
特に今回のテーマに関連する出来事については、印(しるし)をつけた。