天武が『古事記』編纂に着手したのは五十歳頃である。それまでの人生経験の中で蓄積した問題意識がいくつかあり、それがベースとなって『古事記』が生み出されている。彼が問題意識を形成したであろう出来事を中心に、当時の時代状況を簡単に振り返ることにする。

改めて見ると、天武が考えを形成した時代というのは、内外共に動乱の時代であったことが分かる。大陸や半島では王朝の興亡が繰り広げられ、隋が滅び、唐が興る。半島では高句麗、新羅、百済が覇権を争い、それに唐と日本が絡む展開となる。

高句麗内の政変に唐が絡むということもあった。王朝はそんなに簡単に滅びるものではないが、隋、百済、高句麗の三つの王朝が滅び、新羅が勢力を伸ばす。そして、何と言っても大きな事件は白村江の戦いであろう。

日本の友好国であった百済の復興を支援するために軍隊を送り込んだが、唐・新羅の連合軍に完膚なきまでに打ちのめされ約三万人の兵を無くしている。当時の人口は五百万人位なので、現代に換算すれば約六〇万人となる。その位大きな犠牲者を出した敗戦だった。日本は半島への足掛かりを完全に無くすことになる。

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