「まともに息もできなくなってるじゃないか」
父と目が合って初めて、その言葉が自分に向けられているのだと気付いた。
「出ていってやろうか」と父は言った。
僕が、「いつ?」と聞くと、父は、「暖かくなったら」と言って笑った。
それからひと月が経った。父がいることに、それほど息苦しさを感じなくなり始めていたある日、屋根に上がる父を見た。冬の束の間の休息のような暖かな日だった。何をしていたのか聞くと、父は、「日光浴だ」と言った。
父の部屋は北側に面していて、ほとんど日が差さない。天窓から陽光が差すが、それでも冷え切った部屋を暖めるには至らない。
天窓を開ければ、屋根にすぐ上がることができるけれど、少年のような思いつきで父が屋根に上がるとは思えなかったから、僕は不思議に思った。高い所はこわいと言っていたのに。
以前、塗装の仕事をしている父に、高い所での作業について聞いたことがある。
「慣れるまではこわくて仕方がなかった。足がすくんで立てなかった」と父は言った。僕も高い所がこわい。脚立に上がるのさえこわくて体が固まってしまう。
あの祭りの日も僕はこわかったのだ。肩車された時、視線の高さと花火の音に驚いて、手に持っていた金魚を小さな透明の袋ごと落としてしまったのを覚えている。
アスファルトの上で金魚がピチピチと跳ねた。父は何も言わず、金魚を拾い上げて、わずかに残った袋の水へ泳がせた。
僕は、父に自分と共通の色を見つけてしまった。そして、ある幼稚な考えが頭をよぎった。もしかしたら僕と父は、歯車がきちんとかみ合って回るみたいに、もっとうまくやれたのかもしれない。すぐに、くだらないと思い直した。
だけどその時、僕の内側で「弱いのと悪いのとは違う」という声が聞こえた。父はきっと自分の弱さに負けて、人を悲しませるようなことをしたのだ。僕は、父に対する仮の答えを変えた。父は僕の中で、悪い人から弱い人になった。
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