朝鮮渡海

対馬は古代から続く、日本の玄関である。南北二島に見える八二キロメートルの細長い島である。九州本土よりは百三〇キロ離れているが、朝鮮半島からは五〇キロ足らずである。鎌倉時代からは、阿比留氏に代わり宗氏がこの島を治めている。与良に国府が置かれ、府中と称している。

「朝鮮国が、都の幕府に発行した『牙符』という物がございます。日本国の王使の印なのですが、幕府は大内様と大友様にそれをお与えになりました。大内様が滅んだ今は、大友様のみがお持ちです。しかもその牙符はこの対馬にいつも置かれております。宗様と我々博多の商人は、偽りの『王城大臣使』となり貿易を致しております」

「大友様はご存知なのですか」

「勿論ご存知でいらっしゃいます。莫大な利益の半分を献上しておりますから」

「朝鮮での窓口は、『倭館』という役所でございます。六〇年程前に騒動がございました。その頃は、三〇〇〇人余りの日本人が倭館付近に暮らしておりました。田地を買い耕す者や、漁師をしたり、中には密貿易をする者もおったそうです。

『三浦倭館(さんぽわかん)』と申しまして、富山浦(ふざんほ)、乃而浦(だいじほ)、塩浦(えんほ)という三カ所の浦が入港を許され、それぞれに倭館がございました。騒動の後は富山(釜山)浦だけが許されております。その為今おります者は、倭館の役人が五〇人ばかりでございます」

「他の人達は帰国したのですか」

「多くはそうですが、朝鮮生まれで言葉巧みな者は、朝鮮人として近くに残っております。なかには役人になっている者もおります。宗様のその後の交渉で、多い時には五〇隻許されていた『歳遣船』を、何とか三〇隻迄認められるようにされたのでございます」

「どのような物を扱っているのですか」

「こちらからは主に銀や硫黄、琉球からは胡椒や薬種、南蛮渡りの唐辛子や香木等を持って参ります。向こうからは明国からの生糸の他綿布や朝鮮人参、経典などが主な積荷でございます」

「行きと帰りでは『荷の重さ』が大分違いますね」