朝鮮渡海
宗麟は海外にも広く目を向け、中国への遣明船の派遣、琉球・カンボジア・ポルトガルとの海外貿易も盛んに行った。堺の豪商日比屋了珪(りょうけい)を厚遇しただけでなく、筑前博多の支配権を得たことにより、莫大な利益を上げたのである。
弘治三年には本拠地を「府内」(大分市)から、湊と城下町とが一体となった「臼杵(うすき)」に移していた。松栄と宗易は、臼杵の丹生(にう)島新城で宗麟に拝謁した。
五年前から築城が始まった丹生島城は、臼杵湾に浮かぶ難攻不落な城である。
「松栄殿、遠路よく来られた。忙しいところ大儀でござった。待ち焦がれておりましたぞ」
「お申し出に中々叶いませず、申し訳ございませんでした。只今一門は二手に分かれ、関白近衛前久(さきひさ)様のご依頼と、美濃の織田信長様からの依頼分をさせて頂いております。年明けには、それぞれが終わろうかと存じますので、今少しご猶予くださいませ」
「存じておる。急がずとも好い。わしはこの臼杵を理想の町にしたいのじゃ。ゆっくりと作りたいと思っておる。今回は、そなたにわしの話を聞いてもらい絵の構想を練って欲しいのじゃ」
「ありがたき幸せ。痛み入ります。本日一緒に参りました者は、堺の納屋衆の一人千宗易様と申します」
「そなたが千宗易殿か。そなたの事は、同じ堺の日比屋了珪殿から聞いておる。この頃は、堺の茶の湯者の代表の一人との事」
「畏れ多いお言葉でございます。お初にお目にかかります。千宗易でございます。九州は初めて参りました。畿内とは海も山も随分と異なる気色。空の色、海の色まで違って見えまする」
「心ゆくまでゆっくりされよ。我が領国内の自由往来を許可しよう。今日は博多から威勢のいいのが来ておる。会って話などするがよかろう。『あらき』(泡盛)という新しい酒が、琉球から届いておるから、それも試して見られるが良い」
「ははー」
「島井茂勝と申します。どうぞお見知りおき下さい」
後に、大徳寺にて出家し島井宗室と名乗る男は、日に焼けた顔をほころばせた。
「幾つになられる」
「二九でございます」
「まだ三月なのに、良く日に焼けておられるの」「はい。一年の半分は船の上でございますから」茂勝は屈託なく笑った。
島井家は、代々博多で酒屋と金融業を営む一方、明や朝鮮、そして琉球との貿易で莫大な富を築いていた。元々は対州(対馬)宗氏の家臣の一族と言われ、朝鮮貿易に特別な縁故がある。
「最近では朝鮮の焼き物の商いが増えて参りました。奈良、堺、都の唐物屋様だけでなく、越前の朝倉様からも直接に依頼が参ります」
「私もいくつか持っております。明国の『唐物』に対して、朝鮮の物は『高麗物』と呼んでおります」