人生において、物事が好転(こうてん)する前には往々にして試練(しれん)が与えられる。要(よう)するに、高く飛ぶには体を低くかがめなければジャンプはできない。よってどん底に落ちたということは、新たな人生の門出(かどで)となり得るチャンスを得たということであるはずなのだが。

しかし、その頃の私にはそのような発想は1ミリもなく、周囲(しゅうい)の全ての人達が生き生きとして見え、それに比べてどうして自分だけは……と暗澹(あんたん)たる気持ちになっていくのだった。

「久し振り。元気だった? 実は私の知り合いに普通の人は持っていない不思議な力を持つ住職(じゅうしょく)がいるのだけど、その住職があんたの妹さん、病気やなァ、妹さんには僕から伝えなあかんことが他にも有るから一度大阪に来てもらいィ、と言っているのだけど、大阪に来てみない?」、と。

十年振りに聞く姉から出た言葉が、「あんたの妹さん、病気やなァ」、と来た。ええェー!! 私はあまりの驚(おどろ)きで何が起きたのか分からない。過去に体験したことのない驚きだ。

一つ屋根の下に住む娘や息子にすら病気のことは話していない中、何故(なにゆえ)に、遠く離れ、十年近くも疎遠(そえん)になっている姉の知り合いの、しかも私にとっては顔も名前も何も知らない大阪在住の見知らぬ男性が、私が病気だということを知っているのだ!?

目の前が真っ白になるとは正(まさ)にこのことだ。何が何だか分からない。とりあえず、電話は一旦(いったん)切った。何をどう考えればよいのか整理がつかない。動揺(どうよう)が収(おさ)まらない。

しかし、五分経過し、また五分経過するに連れ、何たって胡散臭(うさんくさ)い姉の顔が過(よぎ)り、姉の過去の所業(しょぎょう)を冷水(れいすい)シャワーのように私の動揺心(どうようしん)に当て、冷静にならなければと思った。

冷静に考えれば、四十も過ぎれば一つや二つ、誰だって体の故障箇所(こしょうかしょ)くらい有るものだ。住職のその、『妹さん、病気やなァ』、も然程(さほど)驚くほどの言葉ではないと、そう自分に言い聞かせ、自分を落ち着かせるが、これまでの自分の人生に一度も体験したことのない不思議な感情がどうしても湧(わ)いてくる。