第三章 病気との付き合い方

入院―手術

米と水の比率ではなく、次のような全粥と重湯を混合した時の全粥の比率なのだそうだ。例えば、全粥三:重湯七の時が三分粥というわけだ。全粥とは、米に対し水十五倍程度の割で炊いたもの(因みに、ふつうの米飯は米に対して水1・2程度。新米では水を減らす)。重湯とは、米に対し水十倍程度の割で炊いたものをガーゼなどで漉して、米粒を取り除いたもの。それ以外の回復過程以下の通り。

二日目:睡眠導入剤を入れてもらう。四日目:背中の痛み止めの管を外す。五日目:点滴の管を外す。五日目:髪を洗ってもらう。六日目:ドレインの管を外す。六日目:三分粥を二度食べた後、柔らかい通じあり。七日目:五分粥を食べた後、形のある通じあり。以後、ほぼ、一日二度の通じあり。快便。熱も、二回ほど三十七度になったことがあったが、後はずっと三十六度五分前後の平熱で、炎症もなく順調だった。

快食、快便、快眠。同室の他の患者に、看護師さんがよくお食事どれくらい召し上がりました? などと聞いている。やっと半分とか八割ぐらいと答えている。私は、重湯から全粥まで病院で出た食事はすべて、一粒も残さず(重湯では残しようがないが)平らげた。お代わりはないんだよねと聞いて笑われたくらい。

出す方も、重湯を二度食べた後で手術後初めての通じがあった。形こそあるが、まだ、柔らかい。三分粥になったら見事なのが出た。ぷつんぷつんと切れているのではなく、滑らかな流線型になっている。思わず、見て見てとトイレからナースコールをしたい衝動に駆られるくらい素晴らしい。それ以後、退院まで、だいたい日に二度、朝食後と夕食後にきちんとあった。

病人は弱者である。人の情けが身にしみる。丁寧な見舞いの電子メールや手紙をもらうと、ジーンとくる。そんなに親しい仲でもないのに、予期していたよりずっと親切に声を掛けてくれたり、メールくらいくれてもいい関係だと思っていたのに無視されたり、人はわからないものだとつくづく思う。気が弱くなっているから、ふだん何でもないことを敏感に感じる。

そして、中にはわざわざ病院まで見舞いに来てくれた人も、思っていたよりずっと多かった。嬉しい。私自身の友人や知人だけではなく、妻の方の関係の人たちまでもである。