生まれた村を出ることもなく、鐘とともに暮らしてきた人生はなんだったのかと、ふと思う。親の跡を継ぎ、当たり前だと気にもとめずやってきたが、鐘によって小さく刻まれた時間の中で、知らず知らずにあきらめてきたものがあったのではないか。
考えることすらなかった、人生で取りそびれたもののことが、今は切ないほど思いやられる。俺はこれまで何も知らずに生きてきた。こんな街も、洒落た店で憩う時間も、女に心をときめかす喜びも。目の前にこんなに美しい女がいる。モニカ、と教えられた名は呼びかけるにも気恥ずかしく感じられた。
聖堂を訪ね歩いている時ならともかく、こうして面と向かえば気の利いた話題などニコに浮かぶはずもなく、通りを歩く人の目に自分たちはどう映るのだろうかということばかりが気になっていた。
「あなた、ジョルジュ・ムスタキに似てるわ」沈黙を打ち破ったのは彼女だった。
「誰?」
「歌手よ。ずっと昔の。母が好きでいつも聴いていたの。レコードのジャケットで見た顔とそっくりよ」
「そんなにいい男なのかい、そいつは」
精一杯の冗談を返すと、彼女は白い歯を見せた。
「髪とひげのせいよ。そんなふうにもじゃもじゃなの。本物はもっとおじいちゃんになってるわよね、きっと。だけど、最初はびっくりしたわ。お互いに、おかしな出会い方だったわね」
くすっとした彼女の頬が、光の加減か少し赤らんで見えた。出会い……今日のことをそう呼んだのがわけもなくうれしくて、ニコはもっと彼女のことを知りたくなった。
「店って言っていたけど、経営しているの?」
彼女はまさか、と形のよい眉をほんの少し動かした。
「働いている店よ」
「なんの店?」