《ⅰの子、3小碓命は、ⅶの倭建命に同じであるが、大海人皇子の寓意を負って語られる古代の英雄である。この小碓命は兄の大碓命と双子で生まれたと伝えられる。大碓命には実は中大兄皇子が寓意されており、中大兄皇子は古事記ではナ音音仮名の「那」を寓意上の符丁とする。
従って双子の弟、小碓命は、双子の兄、大碓命~中大兄皇子~那を具(そな)えて生まれた男である。故に、亦の名が「倭男具那命」なのである。中大兄皇子と那の関係については後に再論する。
なお、大碓命が妻にすることになる二人の「嬢子」を、真福寺本は「子」と書く(199三374)。卜部系諸本はこれを「狭子」としているので、もともと犭偏の文字で書かれていたことは疑いない。
そこで、真福寺本の誤字「子」が原型であったと思われる。女偏の「嬢」を犭=犬偏の「 」に書いたのは、中大兄皇子がいぬ年(旧いぬ年・旧丙戌年・627年)生まれである故の意図的誤字であったと思われる。大碓命が中大兄皇子を寓意することを暗示する古事記流の仕掛けである。》
以上の系譜を見やすく並べると次の通りである。引用文に記していない子孫分注も併せて記した。また書紀による系譜を対応させながら右欄に併記した。その書紀系譜については、妻の記載順を 1~8 の番号で示し、2の八坂入媛の子女には記載順に①から⑬の番号を付し、位置を入れ替えて古事記と対応させた。7の襲武媛(そノたけひめ)の子女にもa・b・cの番号を付し、cの豊戸別皇子については位置を入れ替えて古事記と対応させた。
【前回の記事を読む】マイナス1が表すのは、一人だけ排除すること? 選ばれた10の池、その背景には家系図があった。