序節 古事記の投げかける謎――古事記の秘める数合わせ

古事記は倭の国、日本という国の成り立ちを語る史書として、現在目にし得るものの中で最も古く成立した長編の書き物である。日本という国の始りを知ろうというとき、あるいはまた日本人が自らのルーツを探ろうとするときにも、おそらく避けて通れない書物の一つである。

古事記については本居宣長の『古事記伝』をはじめ、古来おびただしい注釈書・研究書・論考が積み重ねられてきた。現在も古事記に関する書籍は、最先端の研究成果を満載した注釈書から漫画本に至るまで、実に枚挙にいとまなき盛況を呈している。

ところが、そうした活況にもかかわらず、それら数々の業績によって古事記の本質が解き明かされたのかといえば、必ずしもそうとはいえない。

古事記は、一体何を語ろうとした書物であったのか、ということすら釈然としない、そのような書物であり続けていると言って言い過ぎではない。古事記は、いまだに深々とした謎を秘めた書物である。

いまだ解答を与えられていない謎の、わかりやすい具体的な例を挙げてみる。

古事記は序文と本文からなるが、序文は本文とは性格が異なる文章であり、以下で対象とするのは本文だけである。

本文は地の文と、小文字で書かれた分注(2行に書かれることが多いのでこう呼ぶ)からなる(「地の文」という言葉は、通常は脚本などで台詞以外の文をいう言葉であるが、ここでは分注以外の本文をこう呼ぶことにする)。

その本文は、神代から天孫降臨説話を経て神武天皇の誕生までを語る上巻に続き、初代天皇とされる神武天皇から第15代応神天皇までの中巻、そして第33代推古天皇の系譜に終わる下巻の計3巻からなる長い手書き書物である。その3巻を俯瞰してみると、次のような不思議な数合わせを発見することができる。

Ⅰ「10引く1は9」という数合わせ

Ⅰ−1 池を作る記事が5人の天皇について記されており、のべ10池が作られるが、最初の池と最後の10番目の池が重複している。従って、最後の池に疑問符がつく形になっている。ここに「10引く1は9」という算術が成立する。